しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」。
イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
彼らは飢えることがなく、かわくこともない。 また熱い風も、太陽も彼らを撃つことはない。 彼らをあわれむ者が彼らを導き、 泉のほとりに彼らを導かれるからだ。
彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。
また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか」。
天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者は、いつまでも生きるであろう」。
さらに、神の子がきて、真実なかたを知る知力をわたしたちに授けて下さったことも、知っている。そして、わたしたちは、真実なかたにおり、御子イエス・キリストにおるのである。このかたは真実な神であり、永遠のいのちである。
神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。
罪の支払う報酬は死である。しかし神の賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにおける永遠のいのちである。
あなたがたは、真理に従うことによって、たましいをきよめ、偽りのない兄弟愛をいだくに至ったのであるから、互に心から熱く愛し合いなさい。
盗人が来るのは、盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしがきたのは、羊に命を得させ、豊かに得させるためである。
神の聖霊を悲しませてはいけない。あなたがたは、あがないの日のために、聖霊の証印を受けたのである。
それは、罪が死によって支配するに至ったように、恵みもまた義によって支配し、わたしたちの主イエス・キリストにより、永遠のいのちを得させるためである。
そして彼らは永遠の刑罰を受け、正しい者は永遠の生命に入るであろう」。
「さあ、かわいている者は みな水にきたれ。 金のない者もきたれ。 来て買い求めて食べよ。 あなたがたは来て、金を出さずに、 ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。
主は常にあなたを導き、 良き物をもってあなたの願いを満ち足らせ、 あなたの骨を強くされる。 あなたは潤った園のように、 水の絶えない泉のようになる。
「それは、わたしの民が 二つの悪しき事を行ったからである。 すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて、 自分で水ためを掘った。 それは、こわれた水ためで、 水を入れておくことのできないものだ。
わたしが疲れた魂を飽き足らせ、すべて悩んでいる魂を慰めるからである」。
おおよそこの川の流れる所では、もろもろの動く生き物が皆生き、また、はなはだ多くの魚がいる。これはその水がはいると、海の水を清くするためである。この川の流れる所では、すべてのものが生きている。
義に飢えかわいている人たちは、さいわいである、 彼らは飽き足りるようになるであろう。
イエスは答えて言われた、「もしあなたが神の賜物のことを知り、また、『水を飲ませてくれ』と言った者が、だれであるか知っていたならば、あなたの方から願い出て、その人から生ける水をもらったことであろう」。
女はイエスに言った、「主よ、あなたは、くむ物をお持ちにならず、その上、井戸は深いのです。その生ける水を、どこから手に入れるのですか。
イエスは女に答えて言われた、「この水を飲む者はだれでも、またかわくであろう。
刈る者は報酬を受けて、永遠の命に至る実を集めている。まく者も刈る者も、共々に喜ぶためである。
朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなたがたに与えるものである。父なる神は、人の子にそれをゆだねられたのである」。
祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、「だれでもかわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。
御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」。
ただし、泉、あるいは水の集まった水たまりは汚れない。しかし、その死体に触れる者は汚れる。